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2012年1月18日水曜日

「バルサ史上最悪の契約ベスト10」

「世界最高クラブ」との称号を欲しいままに未だに躍進し続けるバルセロナ。「チームの枢軸の多くを自前産、いわゆるカンテラ産でまかない、不足部分を他クラブから補う」という手法は今や世界中のクラブの理想モデルになりつつあるが、補強戦略において数多もの失敗を繰り返してきた歴史があることも忘れてはならない。『bleacher repor』などに寄稿しているコラムニスト、アラン・ジアンが「バルサ史上に残る最悪の契約」をまとめていたのでご紹介しよう。
アルフォンソ(from レアル・ベティス in 2000)
レアル・マドリーの下部組織育ちで1995年に移籍したレアル・ベティスで能力が覚醒。スペイン代表にも名を連ねたように、当時は同国屈指のストライカーとして認知されていたが、1650万ユーロでバルセロナに移ってからはまるで借りてきた猫のようだった。最終的にはリーグ通算2得点という惨めな成績を残し、2002-03シーズンに古巣のベティスへ帰ったが、1ゴール当り825万ユーロという出費はバルサにとってあまりにも痛かった。
ジェラール(from バレンシア in 2000)
「ラ・マシア」の出身でユース時代から注目を集めていたが、トップチームには至らず、その後に移籍したバレンシアで大爆発。多方面から高い評価を受けて、2000年にバルセロナに戻ってきた。2005にはリーグ優勝を経験するなど、準レギュラーとして“それなり”の成績を残したが、2200万ユーロをかけて呼び寄せてくれた古巣の期待に応えられたかは怪しいところ。とにもかくにも、怪我が多く、右膝軟骨損傷、左膝十字靭帯断裂、恥骨炎、左足筋肉裂傷など、様々な故障に悩まされた。
マルク・オフェルマルス(from アーセナル in 2000)
アーセナル時代にヴェンゲルの薫陶を受ける形でその能力を向上させ、「世界最高クラスのウィンガー」として名実ともに輝いていたオランダ代表FWの加入は多くのクレの心を躍らせたが、2004年に彼がクラブを去った際に消失感を感じたものは少なかったはずだ。4シーズンの在籍期間で彼が築いた記録は99試合に出場して15得点。4000万ユーロ超という余りにも多額の補強費を注ぎ込んでしまったジョアン・ガスパール会長はそれを悔い、売却に成功したアーセナル側は改めて「交渉に成功した」と満足感を得たことだろう。
ロベルト・ボナーノ(from リーベルプレート in 2001)
アルゼンチン代表歴を持つ実力者として移籍金120万ユーロで加入するが、最後までバルセロナのクレたちを納得させるパフォーマンス披露することはなかった。2001-02シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝では、ジネディーヌ・ジダンやスティーヴン・マクマナマンにあざ笑うかのようなゴールを許し、レアル・マドリーの欧州制覇をアシストしてしまうなど、良い記憶を探すことが難しい。
フィリップ・クリスタンヴァル(from モナコ in 2001)
ジャン・ティガナ監督に見出され、モナコで賞賛に値するパフォーマンスを披露。2000年にはフランス代表にも招集されるなど、その将来性が期待されていたが、結果的には予想を大きく下回る成長に終わった。2001年に移籍金1700万ユーロ(650万ユーロの説もあり)でバルセロナの一員となるが、「凡庸なセンターバック」の域を脱せず、2003年にチームを去った。
ジェオヴァンニ(from クルゼイロ in 2001)
スカウトマンが彼の能力をどのように評価してバルセロナに勧めたのかはわからないが、「ワールドクラス日が時々あり、多くの日がノーマルクラス」というレベルの選手に2000万ユーロをかけてしまったことは失敗と言わざるを得ない。獲得に関心を持っていたと言われる、アーセナルやユヴェントスは、バルセロナでの彼を見て、胸をなで下ろしたことだろう。
ガブリエル・ミリート(from レアル・サラゴサ in 2007)
「リーガを代表するセンターバック」として、2007年に鳴り物入りで加入したが、その後どうなったかは多くのサポーターが知るところ。2011年にインデペンディエンテに戻るまで、リーグ戦では通算48試合に出場し、まずまずの成果を上げたシーズンもあったが、膝、ハムストリング、太もも、ふくらはぎと、あらゆる箇所を痛めて在籍期間の多くをリハビリで過ごした。はたして2000万ユーロをかけて彼を獲得する必要があったのだろうか。
アリャクサンダル・フレブ(from アーセナル in 2008)
アーセナルでは素晴らしい活躍を見せ、プレミアリーグ屈指のドリブラーとしての評価をものにしたが、バルセロナに加入してからはキャリアは急降下。彼を加入するために1500万ユーロの大金を投じるなど、2008年にイングランドからスペインの地に降り立った際には大きな期待を掛けられていたが、今ではこの男に1500万ユーロをかけてしまったことを悔いているだろう。ちなみに、保有権は現在もバルセロナが持っている。
ドミトロ・チグリンスキー(from シャフタール・ドネツク in 2009)
ペップ・グアルディオラ好みの「繋げるセンターバック」として、2009年にシャフタールからバルセロナに加入。入団当初は「彼は素晴らしいプレーヤー。将来性もあり、これからこのクラブで長い時間過ごすことになるだろう」と首脳陣からも期待を集めていたが、それからわずか1年後に1500万ユーロでシャフタールへ帰還したことは記憶に新しい。バルセロナはこのウクライナ代表DFを獲得するために2500万ユーロを費やしたのだが・・・。
ズラタン・イブラヒモヴィッチ(from インテル in 2009)
彼との契約は大失敗というわけではなかったが、イブラとペップの間に生まれてしまった溝を考えると、お世辞にも成功だったとは言えないだろう。「メッシ、イニエスタ、チャビらは不満を言わずに優等生で振る舞っていた。グアルディオラの生徒たちのようにね。でも、おれはそういう人間じゃないし、監督は厳しく接してきたよ。だから、おれも監督に言ったんだ。『おれはフェラーリだが、あんたが運転するとフィアットみたいになるな』ってね」とバルセロナを退団後に彼が語った話はあまりにも有名。
ケイリソン(from パウメイラス in 2009)
パウメイラス時代に「ロマーリオ二世」と称され、鳴り物入りでバルセロナに加入したが、一度もスペインの地でプレーすることなく、ブラジルへ送り返された「元天才」。2009年のブラジル全国選手権において16試合で13得点という驚異的なペースでゴールを量産し、その後、ベンフィカ、フィオレンティーナでステップアップを図るもの完全に失敗。実力が全くの未知数であるタレントに投資したのであれば理解できるが、既に「欧州で活躍できない」とレッテルを貼られていた逸材に1400万ユーロを費やしてしまったバルセロナの判断には大きな疑問が残った。

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